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香川大学 教育学部
教授 守田 逸人
日本中世史
2024/07/19掲載
研究内容の概要
私は、稲作をおもな生産基盤としてきた日本列島の様々な社会の枠組みがどのように編成され、どのように持続可能な仕組みを形成していったのか、関心を持ってきました。こうした社会編成のあり方について、史料(歴史資料)を根拠に一定程度具体的に跡づけることができるのは、おおよそ古代末期~中世以降です。
そのような関心から、おもに古代律令国家による土地把握のシステムから大寺社による大土地経営(荘園制)へと変遷する国制の転回のあり方や、その一方日本列島規模で進んだ在地の領主を核とする中世的な地域社会の編成のあり方を研究してきました。そこでは荘園制の展開とともに編成される個々の荘園(単位所領)が、在地の領主を核として独自に形成された地域的な枠組みを基にしていたことなどを明らかにしてきました。その枠組みの多くは、おおよそ市町村等、現在の私たちの地域的枠組みに重なっていきます。
また戦乱などで生存自体が容易でない中世社会では、他地域との紛争回避の仕組みや、信仰や伝承などをベースとした独自の領域観や世界観、価値観をもとに独自のアイデンティティーが形成されるなど、生存や持続的な地域社会の枠組みを維持するための様々な仕組みが作られていきます。わたしたちの身の回りにある一見風変わりな慣習や価値観にもそれらは脈々と受け継がれています。そうした仕組みそのものや、その由来を明らかにすることにより、日本列島の文化的特徴が明らかになります。
これまで扱ったおもな地域のひとつに、奈良時代からの古文書が遺っている三重県名張市(東大寺領伊賀国黒田荘故地)があります。ここは東大寺造営のための巨材を搬出した地域で、史料をもとに現在までの歴史過程を跡づけることができる地域としては日本最古と言っても過言ではありません。この荘園は戦国時代まで東大寺を支え続け、さらにこの地域と東大寺との関係は今もなお続いております。
近年では、とくに香川県に注目しております。じつは香川県には、たくさんの未発掘の史料が眠っています。たとえば、弘法大師生誕地とされる善通寺は、平安時代以来全国各地から多くの僧が修行に訪れた日本列島有数の地方寺院ですが、そうした僧侶をはじめ人の移動に関する記録や彼らが記した典籍、寺院運営をめぐる中央政府や京都の寺社との関係を示す古文書、現善通寺市を中心とした中世善通寺領の運営に関する古文書がたくさんあり、現在研究チームを作って調査を進めているところです。
研究を始めたきっかけと魅力
私は、思春期に野村芳太郎監督映画『砂の器』(1974年)や、五木寛之『青春の門』(1969年~)などの文芸作品に触れ、社会問題に関心を持つようになりました。私は歴史学者ですが、むしろ研究者としての基盤は社会問題に強く関心をもったことで培われたのかもしれません。こうした問題関心をベースに、学部2年生時には戦後歴史学の名著石母田正『中世的世界の形成』(1946年)に食らいつき、史料と対峙して社会の歴史過程を分析することの楽しさと意義深さを知りました。これらの作品は、私を今日に導いてくれた重要な道標でした。
思い込みや根拠のない言説に惑わされることなく、可能な限り詳細な情報をもとに社会への理解を深めることこそ、私たちの生きる社会や個人の生き方そのものを豊かにすることに繋がります。自ら新しい史料を発掘し、根拠なく広がっている言説を覆していく作業は、なんともいえない充実感があります。
今後進めたい研究
2024年度からは善通寺の調査?研究に加え、金刀比羅宮あるいは同地域一帯に関する研究を本格的に進めていきます。金刀比羅宮も日本有数の神社ですが、所蔵する膨大な文化財については、まだまだ調査が行き届いてません。まさにいま、科学研究費を獲得し、お宮さまのご協力を得つつ、いよいよ調査に着手するところです。研究を進めることにより、厳しい中世の社会環境のなかで一定程度持続可能な社会をつくり上げた丸亀平野一帯の地域特質についても議論は拡がっていくでしょう。
一方、これまで手がけてきたテーマとはちがった方面にも挑戦しはじめています。そのひとつが中世農業の復原です。昨年度から本学農学部附属農場を利用し、日本の中世段階で広がっていたイネの種子を入手し、無農薬?有機栽培はもちろん、動力を用いず中世農業の技術水準に則って稲作の実験をはじめました。中世の生産のあり方や食文化を復原するのみならず、近代以降に使われなくなった品種を見直すことで、これ